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2009年8月13日 (木)

供養

 お盆ですので、供養について。

 ぼくは故人を思い出すことが最大の供養だと思います。それは、いいところもそうでないところも含めて等身大の姿で思い出すことだと考えています。完璧な人がいないように、いいところばかりの人はいません。生前のままのイメージで思い出すことが、本当の供養ではないでしょうか。

 人間は忘ることに長けた生き物です。故人のことなど、日常生活においては本当に忘れてしまっています。ぼくは妻を思い出すように、例えば自宅の各部屋に妻の写真を飾ったりしています。息子にいつまでも母親の存在を忘れないでいてもらいたいというぼくの気持ちの表れでもあります。もう増えることはない母親との思い出。それならば、これまでの思い出を大切にしてもらいたい。もういないけど、ぼくにも優しいお母さんがいたという事実。これを忘れないで生きていってもらいたい。
 ですので、ぼくと息子は、一日に一度は必ず妻の話をします。「お父さん、このご飯おいしくないわ」「そうやなあ。お母さんは料理がうまかったけんなあ。お母さんみたいには出来んわ」とか。「ぼくな、いいこと思いついた。このお花をお母さんに(摘んで)見せてあげたら喜ぶわ」「そうやな。お母さん、お花が好きやったけんな」とか。このように話すことで、いつまでも息子の心の中で生きていってほしいと願っています。
 ぼく自身は、けんかしてコノヤロウと思ったことも思い出すようにしています。そうすることによって、上辺だけはない本当のいいところを思い出せるような気がしているからです。死の直後はネガティブな部分を記憶に残すことにためらいを感じましたが、初盆を迎えてこれでいいんだと思えるようになりました。
 よくも悪くも、とにかく思い出すこと。仏さまだって無視されることが一番つらいのではないでしょうか。

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暮らし」カテゴリの記事

コメント

そうだよね、清濁併せ持って、人間だもんね。

亡くなった人の思い出はすべて美しい、というのは一面では真実でも、そうでもないこともあるだろうね。
特に夫婦においては。

村上春樹の「ーピンボール」の一説に金星人の話が出てきます。
金星人は人が亡くなっても、悲しまない。
金星人は生きているうちに、その分だけ愛しておくから。

だったけなぁ。

地球人である、我々は、そうもいかない。あの時にけんかしちゃったなとか。もっと優しくできたらなぁ、とかいろんなことを考えてしまう。

死者や過去を忘れない。それは大事なことだと思う。

生きていく僕らはいろんな荷物を重たく抱えながらも、前に進んでいかなきゃいけないんだろうね。

広く言えば、検見川送信所の活動も、そういうことだと思う。彼らが残したことを忘れない。そして、未来へとつなげていくんだ。

投稿: 久住コウ | 2009年8月14日 (金) 06時22分

久住コウさん

偉そうに「思い出すことこそが供養」と書きましたが、忘れることができるから生きていけるという人間の側面もあります。忘れられるから、次の一歩が踏み出せる。ただ、妻のことに関しては忘却の速度をできるだけ遅らせられるように努力してみたいのです。それが、初盆を迎えた今の気分です。

投稿: 中山カオル | 2009年8月16日 (日) 00時09分

実は人見知りな私。だから人との出会いは大抵覚えているのに、私は彼女との出会い方をまったく覚えていません。気がついたら3人でご飯食べたりする仲になっていました。

攻撃的な考えの私に対して、友好的な彼女の考え方が大好き。私が思い出せないくらい、自然に友達になれる彼女はなんてすごいんだろうっていつも思ってた。けして長い付き合いをしてきた訳ではないのにね。

今ね、で聞きたいことがあるの。彼女ならどんな答えが返ってくるんだろうって。それが聞けないのがつらい。私たちの出会い方をきけないのが寂しいです。

私は怒りまくっているときや、仕事をさぼっているときに、彼女をなぜか思い出します。
無理に思い出す事も、無理に忘れなくてもいいと思います。彼女とはもう、直接は話せないけど、間違なくない私の人生に関わっている、大事な友人だもの。私が死ぬまで一緒なんだなーと思います。

なんか話が支離滅裂になってしまいました。感情のまま書きました。ごめんなさい。家族であるあなたたちは勿論だろうけど、私も彼女と話せないのがつらい…です。

投稿: アベシ | 2009年8月16日 (日) 10時10分

アベシさん

お参りいただき、ありがとうございました。
そして、今も妻を「大事な友人」と思っていてくれて、本当にうれしいです。妻は誰とでも(とはいっても、もちろん人を選びますが)友達になる特別な才能を持っていました。彼女の関わる人たちは、なぜか彼女のペースに巻き込まれていきました。強烈な主張をするわけでもなく、かといって無条件に譲るわけでもなく。とにかく、距離のとり方が絶妙でした。それはアベシさんが感じた「友好的な考え方」なのかもしれません。その考え方に共感してくれた方々が、お盆の3日間にたくさんお見えになりました。みなさんが口をそろえて「弱音を吐かない人」「自分のことより、友人のことを考える人」と言っていました。ぼくもその通りだなと思います。しかし、遺族として夫として、もう少し自分のことを考えてもらいたかったと思います。そうすれば、違った結果になったのではないかと…。

なんて、考えても仕方ないことを考えてしまう夜は、しばらく続きそうです。

投稿: 中山カオル | 2009年8月16日 (日) 22時10分

奥様とは全く面識がありませんが、中山さんの中にも、息子さんの中にも、そして奥様がかかわったすべての人たちの中に、それぞれの形で奥様が生きておられる。息子さんにとっては、今はお星様になって輝き続けている。
聞いた話ですが、父親に先立たれた娘さんが、「お母さんがいつもお父さんの話をしてくれていたから、お父さんがいつも自分のそばにいるように感じていた」と大人になってからお母さんに語ったそうです。
息子さんにとっては、幼少期のわずかな記憶に中山さんの話す等身大のお母さんの姿を重ねながら、すぐそばで見守ってくれているお母さんを想像し、感じているのではないでしょうか。
忘れることと思い出すことは二律背反ですが、亡くなった大切な人を思い出すことで、普段は忘れかけている「自分が生かされていることの重み」を感じた今年のお盆でした。

投稿: Black Tree | 2009年8月17日 (月) 23時08分

Black Treeさん

父親を亡くした娘さんの話に勇気づけられました。供養の仕方はそれぞれで違っていいと思うのですが、自分の方法が本当に正しいのか、そして息子のためになるのか、実際のところ確信が持てませんでした。しかし、その娘さんの言葉で、ぼくの考えが間違っていないことがはっきりと分かりました。これからも、ぼくと妻が一緒に過ごした約8年間のことを息子に話し続けていきます。息子には妻のことをそばにいるように感じてもらいたいと思います。

この1年、「命」や「生きるということ」について考えさせられました。残りの人生を自分のペースで歩んで行こうと思っています。

投稿: 中山カオル | 2009年8月17日 (月) 23時59分

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