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2009年11月11日 (水)

叱るということ

 久しぶりに頭に来ることがあったからだろう。遊んでばかりでなかなか夕飯を食べようとしない息子を必要以上に叱ってしまった。自分でもこんなに怒らなくてもいいじゃないかと思ったのだが、やめることができなかった。叱るべきだったとは思うが、自分の感情までもぶつけてしまったことを後悔した。「ごめんなさい。ごめんなさい」と泣き続ける息子を見て、親としての器の小ささをあらためて知った。

 頭に来たのは、会社の後輩がミスをしたということで減給処分になったからだ。ここまで頭に来たのは本当に久しぶりだ。彼の上司数人も監督責任を問われて減給された。ミスの内容について詳しく書かないが、後輩が確認を怠ったため別の人がした間違いを発見できなかったということになっている。もし本当にそうだとしたら、彼の大きなミスだ。ミスは絶対に許されるものではない。深く反省すべきだし、二度と起こさないように対策を講じる必要がある。ミスの起こる得る作業フローをそのままにしておいた上層部の責任も重大だ。彼らが何らかの手を打っていれば、このミスは起きなかったかもしれない。職場全体で大いに反省すべきだろう。
 それにしてもだ。減給処分はないだろうと思う。従業員は遊びで会社に来ているのではない。お金を稼ぐため、生活の糧を得るために来ている。そのお金で責任を取らせることを簡単にすべきではない。

 一方で管理職の減給は仕方ないことだと思う。責任をとることが彼らの仕事だし、そのためにそれなりの給料をもらっている(とされている)からだ。もしぼくが管理職だとしても減給されることに異論はない。しかし、後輩は平社員だ。だから責任がないと言うつもりは毛頭ない。むしろ彼は重要なポジションを任されているだけに責任は大いにある。それでも、管理職と同じ処分ということには納得がいかない。
 会社は減給という重い処分に、二度と起こすなというメッセージを込めたとでも言うのだろうか。メッセージなら口で言えば分かる。彼だって馬鹿ではない。とことん叱って、とことん反省させればいい。玄関前にバケツを持って立たせてもいいし、前向きに考えるならば、対策を考えさせて全社員の前で発表してもいい。それで十分ではないか。後輩にも生活があるし、もちろん家族もいる。その家族の大切な大切な糧を奪うようなカードを安易に切るべきではない。それも明確なルールなしにだ。会社は従業員とその家族を守る義務があるはずだし、それに対して従業員は会社のために身を粉にして働らかねばならない。それが健康的な会社と従業員の関係というものだろう。

 ぼくは微力ながら、少しでも会社の雰囲気がよくなれば、社員の士気が高まればと思って努力してきたつもりだ。しかし、こんなことをされるとぼくの努力なんて簡単に吹っ飛ぶ。社員は「ミスをすれば簡単に給料を削られる」と萎縮してしまうし、そんな会社に愛情を持てなくなるだろう。ますます“不機嫌な職場”になっていく。
 ぼくは処分をするなと言っているのではない。ミスに対しては厳しく処分すべきだと思う。しかし、どんな処分をするにしても心が必要だ。思いやりと言ってもいい。とどのつまり、処分には処分する側の人間の器が透けて見える。それがどの程度の器かは社員それぞれが見極めればいいと思うが、今回、ぼくはとても残念な気がした。

 冒頭の話だが、ぼくは泣き続ける息子に対して正直に謝った。「ごめんな。お父さんが言い過ぎた。イライラしちょったんや」と。自分の器の小ささを申し訳なく思っての一言だった。

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コメント

中山くん、お疲れさまです!

わたしもよく子どもたちを怒っています。
それは、アイツらが肝心なときに限ってソワソワして、「くつをはきたくないよう~」「だっこしてくれんと歩ききらんよう~」などと言ったり、怪獣のようにわたしのお尻に噛み付いたりするからなのです!
心を込めて作ったごはんを「おいしくなーい」っち言って食べんかったりするからなのです!

だれだって、「怒らんほうがいい」っていうのは分かっているのだ。
ギャッと叱りつけたときの、ちぢこまった子どもたちの顔、空気。
ハッ、しまった!!って、多くの親が思っています。

仕事のことはな、本当に頭が下がります。
社員のことを思って、悪戦苦闘している姿、このブログからも時折垣間見えます。
だから何もいいません。

そうそう、子どもが「肝心なとき」に悪さをするのは、それ以前の空気を敏感に察知しているからかもな、ってよく思うのです。

子どもをしかって、ハッとしたときは、うんと背中をよしよししてやって、仲直りしよう!
怒ってすぐだったら、まだ間に合う?けん…

わたしも頑張りますhappy01

投稿: かめポン | 2009年11月12日 (木) 07時04分

あなたの怒り、というより、悲しみが伝わってきます。私もその話聞いた時、「やっぱり、ちーせー会社だこと」と、怒りより諦めというか、悲しみというか、ほんとに社員を大切にしない会社だなぁ、と、再認識しました。

しかし会社は会社、イライラをおうちに持って帰ってはいけません。とはいえ、そんなに切り替え上手ばかりだったら、日本中、家族円満だっつーの。

私は会社でやなことがあったら、玄関入る前に(子どもとあう前の車内でも)鏡見てスマイルスマイルをします。

それでもだめなときは、子どもに会った瞬間に「今日、会社ですごくつらいことがあったから、ぎゅってして、私を励まして」と、子どもにお願いします。子どもがぎゅーってしてくれて、ちゅーkissmarkでもしてくれたら、会社の件は、大したことじゃない。いまあの感情(会社にたいする怒りとか)は、必要ないと、自分なりに気持ちを切り替えます。

あなただって父親歴4年。社会人だったらまだまだ新人。感情的になることも仕方ないさー。でも、切り替えることも必要だよね。彼女がいればワンクッションおけるんだろうけど。1人は大変だと思う。

会社の件は、連れ合いも言ってたが、きちんと組合等で話し合うべきことだよ。

あまり先走るんじゃないよ。

投稿: K | 2009年11月12日 (木) 10時54分

こんにちは。2回目のコメントです。

息子さんの驚きと悲しみ、中山さんのやり場のない気持ち、自分の身に起こったことのように、胸がつまります。

…でも、中山さんがそこで感情を吐き出さなかったら、どこかまた違う場所で歪みが出てしまったかもしれない。
息子さんもそこで泣くことで、自分の感情を逃がすことができた。それでなんとか気持ちのバランスが取れた。

器を大きくすることにはいつか限界が来ます。
小さい器のままで、汲み取れる量をいかに増やすかと器の使い方をいろいろ考えることが大事ではないか…。
自分も家族(小さな息子がいます)と接する中でいろいろと考える最中です。

なによりもお二人の間には”信頼”があるから、そうやって気持ちをぶつけることもある程度は許容範囲ではないでしょうか。
息子さんももう少ししたら、頼りにしたいお父さんにも”負の感情”が存在することを理解してくれるはず。

会社の中で起こった件は、中山さんの言うことが正論です。
そして、その正論を汲み取れない/正常な判断ができないほど、経営層側も混乱しているのではないでしょうか。
会社や社会がどこに向かっていくのか誰にも見えないけど、「そっちに行ったら危ない!」と誰かが言い続けることは無駄ではないはずです。

投稿: むーにゃん | 2009年11月12日 (木) 12時52分

自分の子育てや職場環境のことなどいろいろ考えながら読ませてもらいました。
「叱る」ことに関して、特に我が子に対しては頭では分かっていてもつい感情的に「怒って」しまいます。
泣き崩れた子供の顔を見て我に返り、中山さんのように素直に謝ることも多々あります。
冷静に、落ち着いて子供と向き合い、納得できるような叱り方ができないものかと思いますが、言うは易し行うは難しです。
「叱る」ことが「反省を促す」ことに必ずしもつながるとは限りませんよね。叱る側が、その人に肯定的なまなざしを向けて本気で叱った場合にだけしか、その人の心には届かないのではないかと思うこともあります。
私は公務員で、ぬるま湯の中にいるからか、会社の減給処分の件は衝撃でした。
自分がその後輩だったら、あるいは中山さんの立場だったら反省よりも会社への怒り、恨みの感情が先に出ると思います。管理職の責任問題についても中山さんの考えに全く同感です。
ミスをしたことは本人が何より反省しているでしょうし、そのミスに対しては会社側、管理職が責任をとれば、心ある人ならばそれを見て自分の行為を深く反省すると思うのですが。
話は全く変わりますが、うちの娘の保育園では危険を伴う運動(飛び込み前転等)をさせる時には、必ず園長がみずから指導し、他の保育士の先生達に「全責任は私がとりますから」と言って練習させるようです。
運動会で、次々と5段の跳び箱を物怖じすることなく飛び超えて前転する子供達の姿と、跳び箱の前ですべてを懸けて子供達を真剣に待ち受ける園長先生の凛とした姿に心打たれるものがありました。
その後打ち上げの席で他の保育士の先生が言った一言が忘れられません。
「子供達は園長先生がいない日は、怖がって飛び込めないん ですよ。」
すべてを懸けて凛として受け入れる園長先生の肯定的なまなざしを感じるからこそ、子供達は安心して飛び込んでいけるんだと思ったところでした。

投稿: Black Tree | 2009年11月13日 (金) 00時21分

みなさん

コメントありがとうございます。本当に感謝しています。
今、残念を通り越して情けない気持ちと、後輩の生活に踏み込んだ人間に対して許せない気持ちでいっぱいです。
体調があまりよくありません。感情のコントロールがうまくできません。落ち着いたら、それぞれのコメントにお返事を書きたいと思います。少し、待ってください。

投稿: 中山カオル | 2009年11月13日 (金) 06時58分

あまり深く考えなさんなー。

以前も書いたけど、孔子も「1人で悩み、考え抜いた結論には必ず偏りがある」って言ってるじゃない。1人で(特に夜)考えても、ろくなこと考え付かないってsweat02

まさかと思うけど、間違ってもキミのボスとかに直談判しちゃだめだよー。冷静に、相談を。

投稿: K | 2009年11月13日 (金) 07時25分

Kさん

大丈夫です。自分が損をするようなことはしませんよ。後輩にも迷惑がかかりますから。

投稿: 中山カオル | 2009年11月13日 (金) 12時19分

かめポンさん

子どもを叱りつけることが習慣になっている自分にハッとすることがあります。穏やかに過ごしたいものですが、そうはいかないのが現実ですね。
お互い、親修行に励みましょう!

投稿: 中山カオル | 2009年11月22日 (日) 23時09分

Kさん

この件に関しては、会社の焦りがよくない形で露呈してしまった気がしています。経営者の1万円と平社員の1万円では重み(=痛み)が違うことを理解してほしいと思っています。すべては想像力があるか、つまり思いやる気持ちがあるかどうかということだと思います。

ぼくはこのブログで自分の生い立ちにも触れています。それはぼくの想像力の原点がそこにあると考えているからにほかなりません。みなさんにもっとぼくのことを知ってもらいたいと思っています。そして、ぼくの想像力が不足していたら指摘してほしいと考えています。今のぼくにはそばで指摘してくれる人がいません。自分の考えをぶつけてみて確認する作業ができません。このブログを始めた理由の一つにそんなことがあります。ですので、ぼくの意見に対してコメントをいただくことがとてもうれしいのです。

投稿: 中山カオル | 2009年11月22日 (日) 23時19分

むーにゃんさん

確かにそうですね。完璧な人間はいない。誰にでも“負の感情”がある。それを理解させることも教育の一つなのでしょうね。
息子さんがいらっしゃるのですね。また子育てのアドバイスをお願いします。

「そっちに行ったら危ない!と誰かが言い続けることは無駄ではないはず」という意見に賛同します。誰かが声を上げないと声なき声で終わってしまいます。子どもたちのためにも、おかしいと思うことに対して正直に「おかしいぞ」と言える大人でありたいと考えています。

投稿: 中山カオル | 2009年11月22日 (日) 23時46分

Black Treeさん

「怒る」「叱る」の違いについてですね。叱っているつもりが、いつの間にか感情的に怒っています。よくないと分かっているのですが、本当に「言うは易し」ですね。
園長先生のエピソードはいい話ですね。「本当に事故があっても責任をとれるのか」と考える親もいるのでしょうが、そんなことを言っていたら何もできない。園長先生は子どもたちに「あと一歩踏み出す勇気」を伝えたいのだと思います。いい先生ですね。

減給処分に関しては、「甘えているんじゃない」「自分の仕事にプロとして責任をとるべき」「小さな会社じゃ当たり前」などと周囲から意見を聞いています。最近の経済情勢もありますし、そう言いたくなる気持ちも分かりますが、ぼくは「甘え」とは別の問題と考えています。そして、ぼくは処分そのもの以上に不透明な決定プロセスに納得がいかないのです。

投稿: 中山カオル | 2009年11月23日 (月) 00時59分

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