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2010年2月24日 (水)

星に願いを

 今夜は2月とは思えない暖かさで、風呂上りに息子と星空を見に外へ出ました。
 いつものように“お母さんの星”を探して「お休みなさい」と言わせようと思っていたら、息子が大声で「お母さーん」と叫びました。びっくりして「夜にそんな大声を出したら、ほかの家の人が驚くやろ」と注意したら、「大きな声やったら、お母さんに聞こえるかもしれんと思ったんや」と言いました。
 息子の気持ちはよく分かります。彼だって母親と話したいのです。ぼくは「そうやなあ。でもな、お母さんは耳がいいけん、小さな声でも聞こえると思うよ」と教えてあげました。

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2010年2月22日 (月)

復縁

 息子を寝かせつけていたら、「今日な、ぼくがみんなにおたより帳を配ったんで。来年はらいおん組やけん、いろいろせんとわりいんや」とうれしそう。来年は保育所の年長クラスになりますが、その自覚が芽生えてきているようです。ぼくもとてもうれしい。
 「それとな」と息子は続けます。
「ぼくな、Hちゃんに結婚しようっちもう一回言ってみたんや」
 息子は以前、Hちゃんに振られています。それでも、もう一度アタックしたのでした。
「それで、どうやったん?」
「Hちゃんな、もちろんいいよっち」
「えっ、前にダメっち言いよったんやろ」
「そうなんやけど、やっぱりぼくが好きっち」
 息子はさらにうれしそうに話しました。クラスで仲間外れにされていたようですので「最近はみんなと遊ぶんか?」と聞くと、「遊ばん人もおるけど、だいたいの人と遊ぶわ」とのこと。親友に奪われた婚約者を取り戻し、クラスのみんなとの関係も修復できたようです。壁を一つ乗り越えられたようで、ぼくはホッとしました。
 これからも、いろいろと壁が立ちはだかるでしょうが、まずは自分の力でぶつかっていってほしいと思います。今回のことはいい経験になったのではないでしょうか。

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2010年2月19日 (金)

自由軒の名物カレー

 大分市のトキハ本店8Fの「全国有名駅弁とうまいもの大会」に行って来ました。お目当てのマダムシンコのバームクーヘンは売り切れでしたので、もう一つの目的の自由軒の名物カレー(写真)を食べました。3年前に難波の自由軒本店で食べて以来でした。

Photo

 3年前、ぼくら3人は大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパンに行きました。それは最初で最後の家族3人での旅行でした。大分から天神に行ったり阿蘇に行ったりといった日帰りの遠出はよくしていたのですが、飛行機に乗ってホテルに泊まってというのはこのときだけでした。
 2泊3日で、初日を大阪観光にあてました。道頓堀に行ってくいだおれ太郎と写真を撮ったり、たこ焼きとお好み焼きを食べたり。観光コースと店は妻が選びました。その中に、一つだけぼくが行きたかった店を入れてもらいました。それが難波の自由軒です。なぜ行きたかったのかは忘れてしまいました。縁のある織田作之助に思い入れがあるわけでもないですし。ひょっとしたら小津安二郎の戦前の映画にカロリー軒というカレー屋が出てくるのですが、そのイメージがあったのかもしれません。
 まだよちよち歩きしか出来ない息子を抱きかかえて自由軒を探しました。やっと見つけたその店は昼過ぎだというのに客でにぎわっていました。ベビーカーを店先に置いて3人で入りましたが、妻はたこ焼きとお好み焼きでお腹がいっぱい。ぼくは名物カレーを注文しましたが、妻が水だけを頼むと店員さんから「食べないなら、ほかのお客さんに席を譲って…」と言われ仕方なくジュースを注文しました。妻は「感じ悪いなあ」と言ってジュースを飲み干すと「外で待っちょくわ」と席を立ちました。ぼくはあわてて熱いカレーを食べたので味がよく分かりませんでした。

 それで、今回の名物カレーです。おいしかったけれど、やはり本店の方に軍配が上がるような気がしました。味がよく分からなかったはずですが(笑)。実はこのカレー、大分市中央町の喫茶店のメニューにもあって(その名も自由軒のカレー。自由軒のカレーを気に入ったオーナーが研究を重ねて再現したそうです)食べたことがあります。そのカレーはおいしいです。妻もおいしいと言っていました。「あの喫茶店、感じがいいなあ」と、よく昼食に利用していました。

 自由軒のカレーは家族旅行の忘れられない思い出です。トキハ8Fの催し場で、その楽しかった記憶をたどりながら食べました。

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2010年2月17日 (水)

生活発表会

 息子の保育所の生活発表会でした。
 息子たちの組は「オオカミと7匹の子ヤギ」の劇ごっこをしました。息子の役はお母さんヤギならぬお兄さんヤギ。買い物に行くので留守番をする子ヤギたちに「お兄さんたちが帰るまで、ドアを開けちゃダメ」と言って腕をバツに交差させました。すると子ヤギたちもお兄さんヤギを真似して「ドアを開けちゃダメ」。とてもかわいいヤギの兄弟たちでした。そのほかには合奏で鈴を鳴らし、合唱では「人間っていいな」を大声で歌っていました。
 保育所の行事は、いつも成長を感じさせてくれます。息子の歌う姿を見ていると、目に涙が浮かんできました。妻に見せてやりたかったなあと思って。成長した息子の姿を見て一番喜んだのは、きっと妻だったでしょうから。以前のぼくならば、こんなことで泣くなんて考えられませんでした。人は変わるものですね。

 息子は家に帰り着くと仏壇に向かって「ぼくな、お兄さんヤギ、がんばったんで」と報告していました。そして「がんばったらマクドナルドに行く」と約束していたので、西大分店でハッピーセットを食べました。

 夜はクルマでぐるぐる寝んね。家に帰り着いて寝ている息子を抱きかかえながら、「今日も泣いちゃった。厄介なことをおれに押し付けて行ってしまったよなあ」と夜空に向かってつぶやきました。もちろん夜空は何も答えてくれません。ぼくは「まあ、こいつを一人前にするまではがんばるよ」と続けました。
 きっと妻は空から息子の演技を見ていたことでしょう。そして成長を喜んでくれたことでしょう。ぼくは再び夜空を見上げ、「まかせておけって。そこから見てろ」と妻に誓いました。

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2010年2月13日 (土)

誰も遊んでくれん

 JR牧駅近くの結婚式場前をクルマで通りかかったとき、息子に「お前もこんなところで結婚式するんかなあ。そういえば、Hちゃんと結婚するんやろ」と聞いたところ、「HちゃんはSくんと結婚することになったんや」。「えっ、お前、振られたんか」「うん、そう。Sくんがいいんち」。ぼくが急展開にびっくりしていると息子は「早く結婚する人が見つかればいいなあ」とつぶやきました。ぼくは「大丈夫。すぐ見つかるわ」となぐさめました。

 そして夜。寝かせつけていると、「あんな、みんなぼくと遊んでくれんのや。Hちゃんも遊んでくれんくなった」と突然の告白。「それでな、Sくんがいいっち言いよん」と。どうやら保育所で仲間はずれにされていて、それで結婚話も破談になったようなのです。ぼくが「お前から、みんなに遊ぼうよっち言えばいいやろ」と諭すと「それでもな、みんながダメよっち言うんや」。「何度も何度も言えばいいやろ」「何度も何度も言うけどダメなんや」。息子は泣き出しました。「それじゃあな、お父さんが先生に言っちゃんわ」「それはせんで」「何で?」「ぼく、恥ずかしい」「自分でどうにかできるか?」「うん、自分でする」。
 もちろんかわいそうだと思いましたが、「自分でどうにかする」という言葉には頼もしさを覚えました。ぼくも子どものケンカに親が口を出すことはないと思いますし、そもそも先生に言いつけるなんて卑怯者のすることだと息子は感じているようでした。ぼくが「よし、がんばれ。お父さんは味方やけんな」と言うと、「うん。ぼく、がんばる」と小さな声で答えました。

 分かっていたつもりでしたが、保育所でも5歳になると人間関係が複雑になっていくのですね。成長を感じつつ、一つ一つ壁を乗り越えていってほしいと願いました。ぼく自身が孤独を感じる毎日ですので、もしそれを息子にうつしているとすれば反省しなければなりません。

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2010年2月11日 (木)

初めてのバッティングセンター

 ぼくが父から習ったことがあるとすれば、野球くらいでしょうか。父が仕事から帰ってきてから暗くなるまで二人で練習していました。ぼくは大した選手ではありませんでしたが、今でも野球は好きです。それでというわけではありませんが、息子にも何かスポーツをさせたいと考えています。それは野球に限らず、サッカーでもバスケットでも、水泳でも柔道でも空手でも何でもいいと思っています。ぼくが教えられるとすれば、野球くらいなのですが。

 バッティングセンターに行きました。息子は初めてです。そのセンターで一番遅い80キロのゲージに入りました。「まあ、見ちょきよ。お父さんがお手本を見せちゃん」と意気込んだのはいいのですが、久しぶりのためかバットに当たりません。「今日は調子がわりいなあ。それじゃあ、一緒に打つか」とごまかして、息子と一緒にバッドを握りました。一人でも当たらないのに二人だとなおさら当たりません(笑)。息子は隣のゲージでクリーンヒットを連発する人を見て、「お父さん、もういいわ。ぼく一人で打つわ」とぼくを押し出しました。そして一人での1球目。80キロの速球をバットに当て、前に転がしました。息子は「ほらな」と上からの目線でぼくに一べつをくれると、続くボールもかすらせました。ぼくには父親としての威厳がなくなってしまいました。
 息子はバッドに当てたことがうれしかったようで、「お父さん、野球っちおもしれえなあ」と興味を持ったようでした。マシンから投げ込まれる速球を怖がると思っていたのですが、そんな素振りは全く見せませんでした。ぼくよりセンスがあるのかもしれません。

 しかし、そこは子ども。「あ、あそこに電車(でGO!)がある。やらせて、やらせて」とせがみます。バッティング対決で負けたこともあり、100円玉を渡しました。「やっぱり、ぼく、野球より電車が好きやなあ」とマスコンとブレーキのレバーを握っていました。帰りのクルマの中で聞いたところ、将来の夢はやはり電車の運転士だそうです。

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2010年2月 8日 (月)

お母さん、なんでおらんの

 スーパーボウルのThe Whoについて書こうと思っていました(タイトルも「フットボールの魔術師」に決めていました)が、それはまた後日に譲ります。

 今夜の息子は「お母さん」という言葉をよく口にしました。
 二人で夕食を食べていたら、ご飯をミッフィの形にする型をキッチンから持って来て「これな、ぼくがお母さんに買ってっち頼んだら買ってくれたんで」。また、「お父さん、ここに缶詰があるよ」と言うので「それな、お母さんが買っちょってくれたんで」と教えると、大きな声で「お母さん、ありがとう」。
 寝かせつけていると「ぼくのお母さんが死んだことな、保育所の先生たちは知っちょんのやけど子どもたちは3人しか知らんのや」「いつもお父さんが迎えに来るやろ。ときどきお母さんはどうしたんっち聞かれるけん、死んだっち教えちゃるに」。そして、「保育所は先生がおるけんいいけど、わさだタウン(大分市郊外の大型店)とかに行ったとき、知らん子に『あの子、お父さんと二人やな。お母さんがおらんのやな』とか何度も何度も何度も言われたらどうしょうか」と話します。ぼくが「そんなこと言う子はおらんわ」と答えると、「でもな、何度も何度も何度も言われるかもしれんで」。「そんな子がおったら、お父さんがやっつけちゃんけん心配するな」とぼくが言うと、息子は「大人が子どもをやっつけたらわりいやろ」と笑ってみせます。対照的にぼくの目からは涙がこぼれました。
 確かに息子の言う通り、いつも二人です。わさだタウンに行ってもジョイフルに行っても、周囲は楽しそうな家族連れです。お父さんとお母さんがいて子どもたち。一方、ぼくらは二人きり。待っていても息子の母親はやって来ません。
 いつも笑顔の息子ですが、周りとの環境の違いを意識し始めているのは間違いなさそうです。ぼくは以前と同じ説明をするしかありませんでした。「お母さんはな、お空の星におるし、おうちの仏壇にもおるし、お墓にもおるし、写真にもおるけん、いつもお前を見ちょんので。だけんな、寂しくないんで」。息子は「そうやなあ」と答えはしましたが、置いてある家族写真に向かって「お母さん、なんでおらんの」と問いかけていました。ぼくは「お父さんがおるけん大丈夫や。心配するな」と言うのがやっとでした。

 寝かせつけた後、心を落ち着かせるために書いています。本当に本当に本当に涙が止まりません。

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2010年2月 7日 (日)

去年の今ごろ

 別府大分毎日マラソンをテレビで見ました。今年は沿道に行きませんでした。
 昨年の大会は2月1日。息子と西大分のマクドナルド前で声援を送りました。往路の先頭集団を見送った後、マクドナルドで昼食。店内で妻の職場の課長さん、息子の保育所の先生、ぼくの高校時代の友人に会いました。みなさん、観戦に来ていたのでしょう。ぼくらはワンセグ放送で戦況を見ながら、復路でも沿道で選手を応援しました。
 そして、体調を崩して家で寝ていた妻の昼食にハンバーガーを買いました。息子が「お母さんはコーラが好きやけん買っちゃりよ」と言うのでセットにしました。自宅に戻ると息子が「お母さん、お土産で」とベッドまでハンバーガーを持って行きました。妻は「ありがとう。お母さん、うれしいわあ。後で食べるな」と言って、また横になりました。結局、そのハンバーガーに妻が口をつけることはありませんでした。

 この1年。息子と多くの「去年の今ごろ」を話してきました。「去年の今ごろ、お父さんとお母さんとお前でハーモニーランドに行ったなあ」「去年の今ごろ、3人でピクニックしたなあ」…。そして今日も「去年の今ごろ、お父さんとマラソンを見て、お母さんにハンバーガーを買って帰ったなあ」と話しました。息子は「でも、お母さんは食べんやったなあ」と覚えていました。

 これが最後でした。妻が登場する最後の「去年の今ごろ」でした。これからの「去年」には、妻はいません。思い出はこうして過去のものとなっていき、少しずつ色あせていくのでしょうか。そうだとすると、とても悲しいことです。

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2010年2月 6日 (土)

こんな夜もあるさ

 今夜は息子と都町(大分市の飲食店街)の焼き鳥屋に行きました。ぼくはビール、息子はカルピスで乾杯。「最近、保育所はどうよ」に始まり、いろんな話をしました。とは言っても、話の内容はいつもの夕食と変わらないんですけどね。息子は付け出しのキャベツが気に入り、おかわりしていました。ぼくは久しぶりのビールをおいしく飲めました。

 歓楽街へ子どもを連れて行くことに異論のある方もいると思いますが、ぼくだって外で飲みたくなる夜もあるんです。たまにならいいのかなと考えています。

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2010年2月 5日 (金)

あたりまえの風景

 朝食はトーストとちりめんと野菜ジュース。フレンチトーストなんて作っている時間はない。こんな朝食ではよくないなと思うが、作れないのだから仕方がない。テレビはつけない。ラジオをつけているが聴いてはいない。ぼくは新聞、息子はチラシを見ながらトーストを口に運ぶ。しゃべるのは息子。ぼくは聞いてばかり。意識の半分は新聞に置いている。
 自転車で保育所に向かう。ルートがいくつかあり、息子が決める。「今日は歯医者さんの前の道にして」。「おう、任せろ。サイクロンだ!」とペダルをこぐ足に力を込める。保育所では別れのタッチ。「お父さん、早く迎えに来てよ」「分かったけん、先生の言うことをよく聞けよ」。それから出社するが、いつも遅刻だ。

 午後5時を過ぎるとMacBookの電源を落とす。それ以降は仕事をしない。できないのだから仕方がない。
 保育所に行く。息子はぼくを見つけるとうれしそうに先生に言う。「お父さんが来たので帰ります。さようなら」。息子はぼくに飛びついてくる。大袈裟な再会シーン。しかし、ぼくらにとってはあたりまえの風景。金曜日は布団を持って帰らなければならない。自転車の後部に息子を乗せ、前のカゴには保育園バッグと衣類。左肩に仕事のバッグ、そして右肩に布団バッグ。ヨロヨロと自宅まで帰る。
 自宅に着くと、息子はまず仏壇に向かって「お母さん、ただいま」。手を洗ってうがいをして、仮面ライダー2号のDVDを観る。ぼくは朝食の食器を洗って、夕食の準備に取りかかる。夕食は食材を届けてもらっている。今夜はきのこの煮込みハンバーグ。作っていると息子が「手伝っちゃん」とやって来る。本当は邪魔なのだが、「お前が手伝ってくれるとおいしくなるなあ」とおだてる。息子は「そうやろ」と自慢げ。
 夕食もテレビをつけない。ラジオがついているが聴いてはいない。夕食の主役も息子。保育所での一日を話してくれる。「ゆうちゃんにたたかれたけん、やめてっち言ったらごめんねっち言いよった」「給食な、一番やったんで」「発表会の練習をがんばったけん、先生がシールくれたんで」。ぼくは「そうな」「へえ、よかったな」とうなづく。疲労を感じる時間帯だが、そんな素振りは見せられない。自分の食器は自分で下げる。わが家のルール。ぼくが食器を洗う。息子は仮面ライダーの続きを観る。

 風呂上りは二人で牛乳を飲む。ドライヤーで髪を乾かすが息子は嫌がる。寝室までかけっこする。息子はベッドにぬいぐるみを持って入る。今夜はリラックマ。「ねえ、リラックマくん。ぼくのお父さんな、すぐぼくを怒るんで。悪いなあ」。ぼくも負けずに「ねえ、キティちゃん。うちのチビな、鼻くそばっかりほじるんで。きたねえなあ」。そして頬を寄せ合い、息子の肩をトントンとなでる。これは「だいすきトントンねんね」。ほかにも「こちょこちょねんね」「ゴロゴロねんね」などバリエーションがある。

 これがわが家の風景。以前とは全く違う。
 ぼくより後に起きてきてボサボサ頭で「おはよう」と言う人がいなくなった。「行ってらっしゃい」と送り出してくれる人がいなくなった。息子を迎えに行っていた人がいなくなった。身長に合わせて高さを決めたキッチンを使う人がいなくなった。息子とトントンねんねをしていた人がいなくなった。息子の最も好きな人がいなくなった。そして、これがあたりまえの風景になってしまった。

 あれから、もう一年。昨日、法要を済ませました。

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