無邪気な質問
保育所に息子を迎えに行くと、同じ組の園児に「中山くんのお父さん。お母さんはどうやって死んだん?」と聞かれました。以前「中山くんのお母さんが死んだっち本当?」と聞いてきた男の子です。ぼくは「病気で死んだんよ」と答えました。「どうやって?」「どうやってっち言われてもなあ。病気になってしまって天国に行ったんよ」。
園児は続けます。「ぼくのお母さんは生きちょんよ。ときどき病気になるけど」。「そんなときは、やさしくせんとなあ」とぼく。「でもな、すぐによくなってご飯をつくってくれるんで。ぼくとお父さんとお母さんで食べるんで。日曜日はみんなで遊びに行ったんで」と男の子。息子はそんなやりとりを黙って聞いていました。
その園児が自分の疑問を無邪気にぶつけただけということは理解しています。ただ、そっとしておいてくれないかなあと思ったのも事実です。それで「中山君が寂しがるけん、お母さんのことを聞かんで」と言おうかなと思ったのですが、やめました。聞かれることが嫌だったら、息子が自分の言葉でそう伝えるべきだと考え直したのです。
自宅に着いて、息子に「保育所でまだ、お母さんのことを言われるんか」と聞きました。「ときどき何で死んだんっち聞かれる」と息子。「そんなとき、何ち答えるんか」「分からんっち言う」。ぼくは「今度からは、病気で死んだっち言いよ」。そして、「保育所で嫌なことを言われたら、あんまり我慢せんでお父さんに相談するんで」と続けました。息子は「分かった」と答えました。
息子に対して「何をしてやるべきなのか」、また「何をしてやるべきではないのか」。悩ましい問題ですが、基本的には「すべきではない」「放っておくべき」と判断したこと以外は思いつくままにしてやりたいと考えています。ときに母親として、ときに兄弟として、そして、もちろん父親として。
息子を寝かせつけながら「いつまでお父さんと手をつないで歩いてくれるん?」と聞きました。息子は「ずっとよ」と答えてくれました。ぼくは「お父さん、うわしいわあ」と息子のやわらかいほっぺたにチュッとしました。
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コメント
あどけない小さな子供の言うことと思っていても、もしかするとそれだから余計に、自分が思っている以上に心に刺さってしまうことって、あるものですよね。
痛みを感じつつも、何とか自分で対処している息子さんのいじらしさを思うと、お父様の「チュ」もまた何とあたたかいのだろうと思いながら読ませて頂きました。
うちの子が、先日「今日はお昼休みに、グランドを走ったんぜ~」と言うので、思わず「へ~、誰と?」と聞いたら、「僕ひとりでだよ。」という答えが返ってきて、「しまった~」と思ったことがあります。
特別支援級の息子には、休み時間に一緒に遊ぶ同学年の友達はいないからです。
息子は、母の微妙なニュアンスを感じ取ったのか、「他のお兄ちゃん達も一人で走ってたよ。」とフォロー(?)してくれ、私は「そっか~」と苦笑いするばかりでした。
子供も、自分なりにこの環境で生きていこうとしていて、だから親の私がいつまでも彼の足を引っ張るようではいか~~ん!と思ったりしています。
またも関係ない話でごめんなさい。いつも、かわいい坊やとお父様のエピソードを楽しみにしています。
投稿: あず | 2010年5月19日 (水) 21時18分
あずさん
おそらくはその男の子も「人の死」について考え、そして恐れているのではないかと思います。自分の母親がいなくなったらと想像しているのでしょう。そうだとしたら、つまり人の痛みが分かるのならば、そっとしておいてほしいと思うのですが、5歳の子どもにそれを期待するのは無理なのでしょうね。
男の子の無邪気な質問に対しての抵抗感?は、息子への配慮という面もありますが、実はそれ以上にぼく自身が聞かれたくなかったということによるものです。
ブログを楽しみしております(グーグルリーダーに登録しております)。子育ての先輩に学ぶところが多いです。
投稿: 中山カオル | 2010年5月20日 (木) 00時18分