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2010年6月23日 (水)

夕食は肉じゃがに

 1年間続けたブログを20日で終了しましたが、記録しておきたいことがあり、とりあえずmixi日記に残すことに。誰かが読むかもしれないという緊張感がないと、うまく文章を書けないので(笑)。

 夕食は肉じゃがでした。5歳の息子と二人で調理しました。息子が味付け担当です。味のベースになる白だしに、味見をしながら砂糖、醤油、みりんを加えていきます。息子の「よし、オッケー」の言葉通り、今夜はうまく仕上がりました。

 テーブルでの話題は将来についてでした。息子の好きな鮭のふりかけの袋に「鮭は広い海を旅して、生まれた川に帰ってきます」とあったからです。
「お前も大きくなったら、鮭みたいにこの家から出て行くんやわなあ」とぼく。
「そんとき、お父さんはどうするん?」
「そりゃあ、ここにおるわ」
「あんな、お父さん。ぼくな、おいしいビール(プレミアムモルツのこと)を箱で買っちょくけん、時どき遊びにおいでな。高いの(500ml缶のこと)にしちゃんけん」
「お前も時どき帰って来いな。お父さんな、一人やと寂しいやろ」
「そうやな。おいしいビールを持ってきちゃんわ」
「そんときはお前もビール飲めるわなあ。お父さん、とっても楽しみやわあ」
 そして、保育所で仲良しのSくんの話に。
「Sくんはお父さんがおらんけど、お母さんとおばあちゃんとがんばりよんっち」と息子。
「お前もお母さんがおらんけど、お父さんとがんばりよんやろ。一緒やな」
「そうやなあ。一緒やなあ」
 同じ組の別の子にいつも「お母さんは何で死んだん?」と問い詰められている息子です。ぼくは「お母さんとかお父さんがおらん子はな、いっぱいおって、みんながんばりよんので。何にもわりいことはないけんな」と励ましました。

 今日の息子は「お父さん」という言葉をいつも以上に発しました。甘えたい気分のようでした。布団の上で、ぼくの必殺技「ハリケーンスクリューこちょこちょ」をしたりしながら1時間近く遊びました。息子は「やめてえ」と悲鳴をあげながらも、楽しそうでした。

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2010年6月20日 (日)

そして人生は続く

 今回の記事で「朝食はフレンチトーストに」は終了します。「はじめまして」でスタートして1年が過ぎました。ブログを始めたのには、いくつか理由がありました。

 昨年の冬に妻を亡くし、息子と二人だけの暮らしとなりました。当初、周囲からの意見があって4歳になったばかりの息子には母親の死を知らせていませんでした。しかし、息子の前では妻の話題を避ける周囲の人たちの対応に、ぼくは「このままではいけない」と思いました。息子には死んだという事実を伝え、空から見守ってくれているはずだと教えるべきだと。
 ぼくは百日法要の前に菩提寺の本堂を借りて、息子に話しました。「いいか。これからお父さんが言うことは、とっても大事なことやけん、ちゃんと聞くんよ」。息子はにぶい光を放つ如来像が支配する空間に落ち着かないようでした。「あんな、お前のお母さんな、病気で死んでしまったんよ。死ぬっち分かるか」。息子は「分からん」。「もうな、息をせんごとなって動かんくなるんや。それでな、天国に行ってしまったんや」。息子は何も答えませんでした。おそらく、死を正確には理解できていなかったでしょう。それでも、遠くの病院で治療していると聞かされていた自分の母親が、もう目前に現れることがないことは分かったようでした。息子はうっすらと涙を浮かべ、静かにぼくに抱きついてきました。ぼくは息子を抱きしめました。抱きしめていた数分間が、1時間にも2時間にも感じられました。それが昨年の5月のことでした。

 それから、本当の意味でのぼくと息子の二人の生活が始まりました。息子は、周囲が心配していたように心に暗い影を落とすこともなく、日々の暮らしに笑顔を絶やしませんでした。
 母親の不在に対しての不安感を吐露することはありましたが、息子は状況を受け入れようとする気持ちも言葉にしました。その言葉にぼくは、いつも勇気付けられました。ぼくはそんな息子の言葉を残したいと思いました。そして、大変ではあるけど二人で楽しく暮らしていることを知ってもらいたいとも。その思いがこのブログとなりました。

 とは言うものの、1年前を振り返ると苦闘の日々でもありました。喪失感に悩まされ、責任に押しつぶされそうになり、孤独感にさいなまれて、理解できない病気にもなりました。息子に習って笑顔を絶やさないよう努力していましたが、実はいつもいら立っていました。神さま(がいるのかどうか、今のぼくには分かりませんが…)さえも恨みました。それから、何とかここまで立ち直りました。
 この1年の親子の歩みは特別です。とても大切な時間であり、もうこんな時間を過ごしたくないとも思います。そんな1年を記録したこのブログも、ぼくにとって特別な場所でした。やがて、特別がゆえに封印したいと思うようになりました。ここを卒業して次のステージに進みたいと考えたのです。このブログは本にして残します。息子がこの家を巣立っていくときに渡そうと思います。

 ブログを始めたころは、心がからっぽでした。一年前の記事を読み返すと、言葉にできない沈み込んだ感覚がよみがえります。ブログを始めたのは、親子の時間を記録したいという思いのほか、自信を取り戻したいという気持ちからでした。当時は、やりがいを感じていた仕事から志半ばで離れてしまい五里霧中の状態でしたし、プライベートでも喪失感と闘っていました。そんな中、自信と呼べるほどのものはありませんでしたが、曲りなりにも形にできることといったら、文章を書くことくらいでした。ぼくにとっての「朝食はフレンチトーストに」は、運命に対しての反撃ののろしだったのです。

 そして、文章を綴ることで自分の弱さを認められるようになりました。親の弱さはいら立ちとなって、その矛先は子どもに向かいます。育児に関しては、結果ではなく過程に重きを置き、その過程を見守りたいと思っています。しかし、ストレスでどうにもならなくなると、待てなくなるのです。うまくできないこと、スムーズに進まないことに対していら立ちが募ってきます。ぼくが「風呂に入るぞ」と言えば、息子は「えー、まだ入りたくない」と答えます。待てないぼくが「もういい。お前は入らんでいい!」と怒鳴ると、息子は泣き出します。なぜ「まだ風呂に入りたくない」のか理由を聞く余裕すらないのです。未だにそんなことを繰り返す日々ではありますが、少しずつでも頼れる父親になれるように努力したいと思っています。

 当初はこんなに多くの方が訪れてくれるようになるとは思ってもみませんでした。コメント欄に救われることも少なくありませんでした。みなさんの言葉のおかげで、内に閉じこもることもなくがんばれたのだと思います。相談相手が限られる上に、ぼくは教えを請うことが得意ではありません。そんなぼくがブログで不安や悩みを吐露すると、親身になってアドバイスをくれました。孤独に負けそうなときは、温かい言葉をかけてくれました。らっちさん、kuriさん、まつさん、久住コウさん、湯さん、そのさん、Black Treeさん、ことりさん、きさん、かめごんさん、abcさん、アベシさん、かめポンさん、むーにゃんさん、Kさん、taketomoさん、こやぎさん、gaiuspliniusさん、sakura4703さん、あずさん、あかりさん、へいさん、のべさん。みなさんの言葉のおかげでここまでたどり着きました。ありがとうございました。

 それにしても、です。人生はプラン通りに進みません。どうせ思い通りにならない人生なのだから、好き勝手にさせてもらいます。このブログは終了しますが、またどこかで反撃ののろしをあげたいと思っています。次もキーワードはフレンチトーストです。フレンチトーストと中山カオルを覚えておいてください。

 一年間、本当にありがとうございました。それでは。
 「あとがき」にかえて。

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2010年6月18日 (金)

妻のこと

 34歳で生涯を閉じた妻について。これまで避けてきたわけではありませんが、ぼくの筆力ではこの複雑な気持ちを表現できなかったのです。今も自信はありませんが、思いの一端でも伝わればと考えています。

 先日、郊外の大型スーパーで7800円のスーツを買いました。それについてツイートしました。「妻がいたら、こんなスーツを買わせなかっただろうな。外で働く男にそんな安いもの着させるわけにはいかないって言うに決まっている。そんな人だった」。妻はいつもぼくを一家の主として盛りたててくれました。自らもフルタイムで仕事をしていましたが、まずぼくのことを優先してくれていました。
 家事や育児でも手を抜くことを知りませんでした。ぼくの仕事が深夜にまで及ぶことも多く、一人で息子を寝かせつけた後も洗濯をしながら翌日の夕食の下ごしらえをしていました。一言で表すと負けず嫌いでした。ぼくとは対照的に、決して弱音を吐かない人でした。四つ年下でしたが、見習うことの多い人でした。

 妻については、いつも考えていることがあります。「ぼくと結婚しなければ死なずにすんだのかもしれない」ということです。あまりにも早く訪れた彼女の死は、もし別の人生を歩んでいたならば避けられたに違いないと思っています。忍び寄ってきた死に対して何も抵抗してやることのできなかった無力なぼくは、決して許されることはないでしょう。

 妻は、もう一人子どもがほしいと言っていました。息子にきょうだいが必要だと。自分とぼくが死んでも、きょうだいで仲良く助け合っていってほしいと願っていました。その思いが叶わなくなった今、ぼくは息子が結婚して子どもをつくるまでは死ねないと考えています。ぼくが死んだら、息子は一人ぼっちになってしまいます。それだけは何としてでも避けたい。
 それまでのぼくは、父が49歳で亡くなったこともあり長生きできないだろうしそれはそれで仕方のないことだと思っていました。今は違います。息子が成人したころには、大して役に立たないどころか迷惑を掛けているのかもしれません。それでも、唯一の親として生きていることに意味があると思っています。おそらくは妻もそれを願っているのではないでしょうか。

 ぼくと息子が暮らす家は、妻がいたころと全く変わっていません。クローゼットは未だに妻の服が占領してしていますし、キッチンもあの日のままです。変化といえば、仏壇を用意したくらいでしょうか。仏壇はリビングのテレビの隣に置いています。仏間もあるのですが、あえてぼくと息子が長く過ごすリビングを選びました。息子が少しでも母親を近くに感じられるようにというぼくの思いからそうしました。
 このブログに書いたこともありますが、息子は朝の「おはよう」に始まり、一日に何度も仏壇に向かって話しかけます。返事はありませんが、母親との絆を確認する大切な対話になっていると確信しています。

 もちろん、いいところばかりではありませんでした。妻とは言い争いもよくしました。しかし、それも今となっては思い出です。街中を歩いていても、この店には一緒に来たなあなんて考えてしまいます。
 今はただ、妻が成長を楽しみにしていた息子を過不足なく育てることを考えています。息子は、妻がこの世に生きた証しです。それはぼくの思いで、息子にはそんなことを気にせず自分の人生を歩んで行ってほしいと思いますが。

 空から見守ってくれている妻は、父親としてのぼくをどう評価しているでしょうか。及第点をくれるでしょうか。結構、辛口でしたからね(笑)。どちらにしても、あのころのように「もっとがんばれ」と応援してくれていることは間違いないでしょう。その期待に応えられるように、しかし必要以上に肩肘張らずがんばっていきたいと思っています。

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2010年6月10日 (木)

父の日

 いつものように保育所の帰りに海へ行きました。防波堤で釣りをしていたおじさんに、息子が「何が釣れますか」。そのときの写真をツイッターに添付したら何人かの方に「いい写真ですね」とリプライをもらったので、調子にのってここでも(ツイッターとは別の写真です)。

Photo

 海では息子は仮面サイダー、ぼくは缶ビールを飲みました。アルコールが入ると、それから帰って料理をする気にはなれませんでした。息子がユッケを食べたいと言ったこともあって、焼肉屋に行きました。ユッケとキムチでラムネを飲んで「ここのユッケは、結構おいしいなあ」と言う息子を見て、「これでいいのか」と少なからず不安になりましたが。

 その帰り道です。洋菓子店の前を通ると息子が「あそこ、父の日は終わったに、まだ看板が出ちょんで。悪いなあ」。ぼくが「でも、お前は父の日に何にもせんやったやろ」と言うと、「そうやなあ。いつも迷惑を掛けよんけんな、何かせんとなあ。そうや!折り紙でハートを作っちゃんわ。ぼく、お父さんが大好きやけん」。「お前、迷惑を掛けよんのか」と聞くと、「朝はなかなか起きんし、せっかく作ってくれたご飯もあんまり食べんやろ」と言います。「それだけ分かっちょんなら、ちゃんとやればいいやろ」と返すと、「ぼくは、まだ子どもやけんなあ。できんやろ」と言い訳だけは一人前です。それでも「お父さんが大好きやけん」の一言はぼくを勇気付けました。今週末に折り紙のハートをくれると約束しました。

 カウントダウンが始まってから、かなりの時間が経ちました(←アントニオ猪木風)。あと2本の記事を書こうと思っているのですが、筆が進みません。タイトルだけ先に。「妻のこと」と「あとがき」です。しばらくお待ちください。

※追記(6月12日)
 父の日は6月20日なんですね。今朝の新聞の折込チラシで知りました。息子に「父の日は、まだ終わっちょらんので」と教えると、「そうなん。保育所では終わったっち言いよったけどなあ」とごまかしていました(笑)。とぼけた親子です。

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2010年6月 5日 (土)

大工さん

 「お父さん、いいかな」とあらたまる息子。「どうしたん?」とぼく。「あんな、おれ(最近の得意げなときの一人称)大工さんになりたいんよ」。保育参観で取り組んだダンボール箱の家作りが楽しかったようです。「電車の運転士にはならんでいいか」と聞くと、「そうなんよ。保育所のみんなも運転士になれっち言いよったしなあ。大工さんに変えたら悪いんかなあ」。ぼくが「いいんよ。お父さんも最初はプロ野球の選手になりたかったけど変えたんで」と返すと、「そうなん。 じゃあ、大工さんにするわ。お父さんのお家も作っちゃんわ」とうれしそうでした。

 建築分野の仕事にはぼくも憧れたことがありますので、息子の気持ちはよく分かります。モノをつくることほど、楽しいことはありません。苦悩の先に形が現れて、その過程が報われるのですから。
 息子はダンボール箱の家を通じてモノづくりのおもしろさを感じ取ったのでしょう。息子には、何だっていいのですが夢や目標に向かって努力ができる大人になってもらいたい。ぼくがそんな大人ではないので、とくにそう思います。勝手ですけどね。

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