2009年9月 3日 (木)

仮面ライダーとモダニズム建築

 4歳の息子はいま、仮面ライダーに夢中です。きっかけは8月30日にテレビ放送の最終回を迎えた「仮面ライダーディケイド」です。そのディケイドはレンタルDVD店に行くと新作扱いで7泊8日で380円。一方、いわゆる昭和のライダーは旧作ということで100円です。「絶対、昔のライダーの方がおもしろいわ」と説得して、1号や2号、V3などを借りさせています。息子は今夏公開された映画「劇場版仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー」で、昭和のライダーを見ていたので意外にも抵抗なく受け入れました。いまでは大袈裟な昭和のライダーの変身ポーズをマスターしています。今日は手袋をつけてストロンガーの変身ポーズを繰り返していました。

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 先日、借りてきた「仮面ライダーV3」を息子と見ていたら気になる建物が出てきました。東京都八王子市にあるピラミッドをさかさまにして地中に突き刺したような形の大学セミナーハウスです。第5話「機関銃を持ったヘビ人間!」に、日本理論物理学界の最高権威である村山博士の「村山物理学研究所」として登場します。ル・コルビュジエに師事した吉阪隆正の設計で1965年に完成した首都圏の複数の大学が共同利用する研修宿泊施設です。村山研究所は大学セミナーハウスの本館で、別に中央セミナー館や宿泊ユニットハウス群などがありましたが、2006年にユニットハウスが老朽化のため一部を残して取り壊されてしまいました。
 また、8月29日に放送されたテレビ東京系の「美の巨人たち」で日本武道館を設計した山田守を特集していましたが、その山田の東京都水道局長沢浄水場は仮面ライダー1号の本郷猛が通う城南大学生化学研究所として登場します。長沢浄水場は「ウルトラマン」ではバルタン星人が襲った科学センターとして出てきます。
 1950年代から60年代にかけて竣工したモダニズム建築は、当時の人々が抱いた近未来的なイメージを持っていたのでしょう(クルマならばシトロエンDSやマツダのコスモスポーツですね)。モダニズム建築探しは、息子と一緒に昭和のヒーローものを見るもう一つの楽しみです。

 ところで、保育所で息子たちは仮面ライダーごっこをするそうです。担任の先生によると、ほかの子どもたちは当然ながらディケイドやキバやクウガなどの平成のライダーになりたがるらしいのですが、息子一人が「ライダー変身、とおー!」と昭和のライダーになるので浮いているようです。平成のイケメンライダーたちは「とおー」なんて言わないですものね。少し心配です。

※追記(9月14日)
 長沢浄水場は「仮面ライダーストロンガー」でも使われていました。第20話「恐怖の大砂漠!二人の藤兵衛!?」で、オヤジさんこと立花藤兵衛によく似た立木博士の「関東第一原子力研究所」として登場します。ここで奇械人アリジゴクとの闘いも展開され、正面だけでなく場内をさまざまな角度から見ることができます。

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2009年8月26日 (水)

なぜ建築なのか

「なぜプロレスじゃなくて建築なの?」と付き合いの長い友人から、このブログについて指摘がありました。彼の知っている「中山カオル」の構成要素に、プロレスや映画や音楽はあっても建築はないということでした。これではパーソナリティーを反映していない、と。確かにこれまで、建築への興味についてはあまり語ってきませんでした。

ブログを始めるにあたって、建築をテーマの一つにしようと考えたのには二つの理由があります。一つは、就きたい職業として初めて意識したのが建築士だったということ。もう一つは、昨年まで印刷物をレイアウトする仕事をしていましたがその現場から離れてしまったこと、です。

一つ目の理由は、30年以上前の小学生になるかならいかのころのことです。もちろんそれまでにもプロ野球の選手などにあこがれてはいましたが、現実的な夢として建物を設計する仕事をしたいなと思っていました。借家暮らしの長かったわが家では、両親が「いつか自分たちの家を持ちたい」とよく話してしていました。そのころは経済的に苦しい時期だったようで、ぼくの持っていたおもちゃはダイヤブロックとグローブくらいでした。ぼくは家族の夢を実現すべくブロックでプランづくりというか、家ばかり作って遊んでいました。こんな家ができたよ、という具合に。なにしろ(最近の子どもと違って)おもちゃが少ないので、与えられたブロックを駆使してありとあらゆるパターンの間取りと外観を考えました。限られた材料とスペースで何が作れるか、そんなことを考えるのがとても楽しかったことを覚えています。そして、いつか自分の家を自分で設計してみたいと思うようになりました。建築士になる夢はかないませんでしたが、3年前、自宅を新築するときにある設計事務所の建築家たちと出会いました。彼らの仕事ぶりを見ていると30年以上前の夢がよみがえり、再び建物に意識が向くようになりました(もっともそれまでもテレビ朝日系の「渡辺篤史の建もの探訪」はほとんど欠かさず見ていましたが)。当時の間取りや広さへの関心(とくに「自分の部屋」というものにあこがれがありました)とは違って、現在ではデザインや歴史的な背景に興味の重心を置いています。そういった意味でもモダニズム建築と呼ばれる丹下健三らの仕事にはいつも圧倒されます。

もう一つの理由ですが、印刷物をレイアウトするという仕事は、実は建築士のそれとよく似ています。限られた紙面(敷地)に、いかに読みやすく(住みやすく)必要な情報(部屋)を配置するか。それと同時に目を引くデザイン性を確保できるか。そして、両者とも図面を引くことが仕事の中心となります。さすがに現在では実際に「引く」ことはなくパソコンの画面上での作業となりますが、頭の中のアイデアを具現化するための手段として図面を作成しています。その現場を離れて、他の人の仕事を見ていると「このスペースの処理に困ったな」と同情してみたり、「こんな方法があったんだ」と感心してみたりと、もうできないが故に考えるところが増えていきました。そしてデザインや空間の可能性への興味が、印刷物だけにとどまらず、立体的に広がっていきました。

建築は、時代を映す鏡でもあります。文化や思想、経済環境を反映しています。印刷・出版物も同様です。この二つの分野に関心を持ち続けていきたいと、今は思っています。

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2009年6月17日 (水)

3匹の子ぶた

 保育所から帰るなり、「そうや、お父さん。ぼくのおうちは木でできちょんの」と4歳の息子。「そうで」とぼく。「えっ、そんなのいやだ。レンガがいいよお」

 保育所で「3匹の子ぶた」の話を聞いたのでしょう。藁の家と木の家はオオカミに吹き飛ばされてしまいますがレンガの家は頑丈なので追い返せたというお話です(原作はもっと残酷のようですが)。

 レンガの家。現代でいうならば、コンクリートの建物ということになるでしょうか。なるほど、子どもを含めてわれわれは、コンクリートなどの硬質な建材を用いた構造物にピラミッドや万里の長城のような永続的なイメージを抱いているのかもしれません。少なくとも自分の生涯よりは長く存在すると考えているのではないでしょうか。しかし実際には、耐震性の問題や再開発などにより、コンクリートといえども延命が難しいケースは少なくないのです。ぼくの住む大分市でも、国際的な建築家の磯崎新氏のデビュー作とされる大分県医師会館でさえスクラップ&ビルドの波に飲み込まれてしまいました。
 
 結局のところ、人の作ったものはいつか壊れます。しかし、それを長く使っていこう、文化的意味を継承していこうと努力できるのも、また人なのです。都市の多くを戦争で焼失した日本だからこそ、戦後の建築物を文化として後世に残していってほしいと思います。特に市街地と呼ばれる地域には、そのような建物が点在しています。“まちなか”の潜在力として活用できるはずです。一つの利用方法が役割を終えたならば、次の中身を考えればいいのです。複合文化施設として生まれ変わった大分市のアートプラザ(旧大分県立中央図書館)などはその好例です。

 さて、冒頭の会話ですが、息子にはこう答えました。「うちの家はな、大工さんが心を込めて一所懸命に作ってくれたけん、オオカミが来ても大丈夫なんで」。それを聞いた息子は「そうなん。よかったあ」。その安堵の表情といったらありませんでした。

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