想像力
ぼくは、あなたの気持ちになれません。あなたは、ぼくの心が分からないでしょう。あなたとぼくはそれぞれ別の人格ですので、それは仕方のないことです。ただ、人には想像する力があります。ぼくらは互いのことを知りたいと思うとき、それぞれの想像力のスイッチをオンにします。
丘の上にある病院の一番奥の部屋から一日中、空に浮かぶ雲を眺めていたあの夏の日以来ずっと考えています。人と人をつなぐもの、それが想像力だと思います。例えば、生まれも育ちも違う二人が出会うとします。互いにまず「この人はどんな人なんだろう」と想像することでしょう。それはあくまでも想像で、本当の人物とは似ても似つかないかもしれません。これまでの環境の違いのために理解できないことがあるかもしれません。それが想像の回数を重ねることによって人物像は修正され、本来の姿が見えてくるに違いありません。その過程で共感が生まれれば友達になり仲間になり、男女ならば恋人同士になるのでしょう。
ぼくらはすべての人に対して想像力を働かせるわけではありません。他人に対しては徹底的に無関心、もしくは無関心を装うことが多い。ぼくには、目の前に困っている人がいたにもかかわらず見て見ぬふりをした経験が少なくありません。「困っているんだろうな」ということは想像できますが、そこで止まってしまいます。「助けたら喜ぶだろうな」とまでは想像しません。残念ですが、これも仕方のないことだと思います。
この1年、ぼくと息子は多くの方の想像力に助けてもらいました。思いやりと言った方がいいでしょうか。突然訪れた38歳の男と4歳の子どもの二人だけの暮らしを想像して、「大変でしょう」「がんばって」と声を掛けてくれた職場のみなさん。困っていることに対して適切な助言をくれた友人たち。このブログにコメントをくれるみなさんの存在もありがたく感じています。一方で、想像してもらえると(勝手に)思っていた人に関心を持ってもらえず、落ち込むこともありました。今ならそれは甘えであり他人に期待するほうが間違っていると理解できるのですが、正直なところそのときは恨んだりもしました。
それでも、とぼくは思います。やはりみなさんの想像力を求めてしまいます。このブログもその気持ちの表れの一つでしょう。同時に、みなさんに対して想像力を使ってきただろうかと自問しています。もらってばかりだったのではないだろうかと。みなさんはそれぞれの立場でがんばっています。しかし、みなさんの状況を想像するには、ぼくの持つ知識や経験では及ばないこともあります。ですので、みなさんの言葉を聞きたいと思っています。その意味を時間をかけて考えてみたい。そして、みなさんと想像力を交換し合えるような関係を築いていきたい。1年が過ぎた今、心からそう願っています。
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