2010年6月18日 (金)

妻のこと

 34歳で生涯を閉じた妻について。これまで避けてきたわけではありませんが、ぼくの筆力ではこの複雑な気持ちを表現できなかったのです。今も自信はありませんが、思いの一端でも伝わればと考えています。

 先日、郊外の大型スーパーで7800円のスーツを買いました。それについてツイートしました。「妻がいたら、こんなスーツを買わせなかっただろうな。外で働く男にそんな安いもの着させるわけにはいかないって言うに決まっている。そんな人だった」。妻はいつもぼくを一家の主として盛りたててくれました。自らもフルタイムで仕事をしていましたが、まずぼくのことを優先してくれていました。
 家事や育児でも手を抜くことを知りませんでした。ぼくの仕事が深夜にまで及ぶことも多く、一人で息子を寝かせつけた後も洗濯をしながら翌日の夕食の下ごしらえをしていました。一言で表すと負けず嫌いでした。ぼくとは対照的に、決して弱音を吐かない人でした。四つ年下でしたが、見習うことの多い人でした。

 妻については、いつも考えていることがあります。「ぼくと結婚しなければ死なずにすんだのかもしれない」ということです。あまりにも早く訪れた彼女の死は、もし別の人生を歩んでいたならば避けられたに違いないと思っています。忍び寄ってきた死に対して何も抵抗してやることのできなかった無力なぼくは、決して許されることはないでしょう。

 妻は、もう一人子どもがほしいと言っていました。息子にきょうだいが必要だと。自分とぼくが死んでも、きょうだいで仲良く助け合っていってほしいと願っていました。その思いが叶わなくなった今、ぼくは息子が結婚して子どもをつくるまでは死ねないと考えています。ぼくが死んだら、息子は一人ぼっちになってしまいます。それだけは何としてでも避けたい。
 それまでのぼくは、父が49歳で亡くなったこともあり長生きできないだろうしそれはそれで仕方のないことだと思っていました。今は違います。息子が成人したころには、大して役に立たないどころか迷惑を掛けているのかもしれません。それでも、唯一の親として生きていることに意味があると思っています。おそらくは妻もそれを願っているのではないでしょうか。

 ぼくと息子が暮らす家は、妻がいたころと全く変わっていません。クローゼットは未だに妻の服が占領してしていますし、キッチンもあの日のままです。変化といえば、仏壇を用意したくらいでしょうか。仏壇はリビングのテレビの隣に置いています。仏間もあるのですが、あえてぼくと息子が長く過ごすリビングを選びました。息子が少しでも母親を近くに感じられるようにというぼくの思いからそうしました。
 このブログに書いたこともありますが、息子は朝の「おはよう」に始まり、一日に何度も仏壇に向かって話しかけます。返事はありませんが、母親との絆を確認する大切な対話になっていると確信しています。

 もちろん、いいところばかりではありませんでした。妻とは言い争いもよくしました。しかし、それも今となっては思い出です。街中を歩いていても、この店には一緒に来たなあなんて考えてしまいます。
 今はただ、妻が成長を楽しみにしていた息子を過不足なく育てることを考えています。息子は、妻がこの世に生きた証しです。それはぼくの思いで、息子にはそんなことを気にせず自分の人生を歩んで行ってほしいと思いますが。

 空から見守ってくれている妻は、父親としてのぼくをどう評価しているでしょうか。及第点をくれるでしょうか。結構、辛口でしたからね(笑)。どちらにしても、あのころのように「もっとがんばれ」と応援してくれていることは間違いないでしょう。その期待に応えられるように、しかし必要以上に肩肘張らずがんばっていきたいと思っています。

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2010年3月25日 (木)

終了式

 保育所の卒園式に行きました。年中組の息子たちにとっては終了式になります。送り出す側の息子たちは卒園児に「おにいさん、おねえさん、小学校に行ってもがんばってね」と声を揃えてエールを送っていました。卒園児の保護者代表あいさつは、感動のあまり始める前から涙がこぼれていて声になっていませんでした。

 ぼくは妻のことを思い出しました。妻は2年前、息子が以前通っていた保育所(3歳児以下の施設でした)の卒園式で保護者の代表としてあいさつをしました。ぼくは仕事で行けませんでしたが、前夜には一緒に原稿をチェックしました。そのあいさつを見た方から「よかった」「感動した」と聞きましたし、妻自身も「よくできた」と言っていましたのでそうだったのでしょう。妻の死後、息子の同級生のお母さんから妻のあいさつを録画したDVDをもらいましたが、実はまだ見ていません。それを見た自分がどうなるか分からず、怖くて見られないのです。

 このブログでは妻のことをあまり取り上げていません。理由は簡単です。どう書けばいいか分からないからです。つまり、死ということに対してぼく自身の心の整理が未だできていないのです。死の意味を考えれば考えるほど分からなくなります。最近では意識して考えないようにしています。精神的に耐えられなくなるからです。一方で、息子とは妻の話をよくします。楽しい思い出から怒られたことまで、たくさん話します。忘れないでもらいたいからです。

 式の後は、年中組の部屋で「がんばり賞」(先生からのメッセージが書かれたクラス写真)をもらいました。名前を呼ばれて、「はいっ!」と前に出ます。受け取ったがんばり賞を頭上に掲げ「大きくなったよ」と言う息子を姿を見ていたら、自然と涙が出てきました。おそらくは妻も空の上で泣いていたのだと思います。小雨でしたし、とにかくよく泣く人でしたから。
 帰宅してすぐ、息子に報告させました。仏壇に向かって「大きくなったよ」と言っていました。

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2010年2月19日 (金)

自由軒の名物カレー

 大分市のトキハ本店8Fの「全国有名駅弁とうまいもの大会」に行って来ました。お目当てのマダムシンコのバームクーヘンは売り切れでしたので、もう一つの目的の自由軒の名物カレー(写真)を食べました。3年前に難波の自由軒本店で食べて以来でした。

Photo

 3年前、ぼくら3人は大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパンに行きました。それは最初で最後の家族3人での旅行でした。大分から天神に行ったり阿蘇に行ったりといった日帰りの遠出はよくしていたのですが、飛行機に乗ってホテルに泊まってというのはこのときだけでした。
 2泊3日で、初日を大阪観光にあてました。道頓堀に行ってくいだおれ太郎と写真を撮ったり、たこ焼きとお好み焼きを食べたり。観光コースと店は妻が選びました。その中に、一つだけぼくが行きたかった店を入れてもらいました。それが難波の自由軒です。なぜ行きたかったのかは忘れてしまいました。縁のある織田作之助に思い入れがあるわけでもないですし。ひょっとしたら小津安二郎の戦前の映画にカロリー軒というカレー屋が出てくるのですが、そのイメージがあったのかもしれません。
 まだよちよち歩きしか出来ない息子を抱きかかえて自由軒を探しました。やっと見つけたその店は昼過ぎだというのに客でにぎわっていました。ベビーカーを店先に置いて3人で入りましたが、妻はたこ焼きとお好み焼きでお腹がいっぱい。ぼくは名物カレーを注文しましたが、妻が水だけを頼むと店員さんから「食べないなら、ほかのお客さんに席を譲って…」と言われ仕方なくジュースを注文しました。妻は「感じ悪いなあ」と言ってジュースを飲み干すと「外で待っちょくわ」と席を立ちました。ぼくはあわてて熱いカレーを食べたので味がよく分かりませんでした。

 それで、今回の名物カレーです。おいしかったけれど、やはり本店の方に軍配が上がるような気がしました。味がよく分からなかったはずですが(笑)。実はこのカレー、大分市中央町の喫茶店のメニューにもあって(その名も自由軒のカレー。自由軒のカレーを気に入ったオーナーが研究を重ねて再現したそうです)食べたことがあります。そのカレーはおいしいです。妻もおいしいと言っていました。「あの喫茶店、感じがいいなあ」と、よく昼食に利用していました。

 自由軒のカレーは家族旅行の忘れられない思い出です。トキハ8Fの催し場で、その楽しかった記憶をたどりながら食べました。

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2010年1月 3日 (日)

最後の写真

 息子と二人で近所の神社に行ってきました。といっても初詣でではありません。ある巫女さんにお礼が言いたくて行きました。

 それは昨年の初詣でです。ぼくと妻と息子は前出の神社に行きました。お参りを済ませ、ぼくは買ったばかりのリコーのデジタルカメラ、GR DIGITALⅡで妻と息子の写真を撮っていました。するとぼくの名前を呼ぶ声がします。声の主は巫女さんでした。よく見ると数年前に会社を辞めた後輩でした。彼女は「わたしが撮りましょう。3人で並んでください」と言って、家族3人の写真を縦位置と横位置で撮ってくれました。その彼女は東京で仕事をしていて、毎年この時期だけは頼まれて大分で巫女さんをしていると話していました。

 その写真は現在、わが家の仏壇に供えられています。妻が写った最後の写真であり、最後の家族写真でもあります。息子は毎日、その写真に向かって「お母さん、おはよう」「行ってきます」「だだいま」「おやすみなさい」と話しかけています。ときには「お父さんに怒られたあ」と泣きながら助けを求めます。
 そんな大切な写真を撮ってくれた彼女にお礼が言いたくて神社に行きました。しかし今年は彼女の姿がありませんでした。授与所の巫女さんに彼女の名前を伝えて確認してもらいましたが、今年は来ていないとのことでした。仕事が始まったら彼女の同期にアドレスを聞いて、お礼のメールを送ろうと思います。

 今年はお参りをしませんでした。ただ、息子が「おみくじしたい」と言うので引かせました。運勢は大吉。彼はくじ運がいいのです。別府のラクテンチ名物「あひるの競走」でも2回連続で当てました。

 最後の家族写真を撮ったカメラはリコーのGR DIGITALⅡ。最新機はGR DIGITALⅢ。

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2009年12月12日 (土)

最後の親知らず

 上の歯の右奥の親知らずを抜きました。4本目で、左下にはじまり5年以上かかってようやく治療が終わりました。

 最初は左下でした。ずいぶん前から痛んでいたのですが、歯を抜くという行為に恐れを抱いていて我慢していました。それでも痛みは容赦なく襲いかかってきます。痛みはどんどん増していきました。ぼくは口ぐせのように「いてぇ、いてぇ」と繰り返していました。それを見ていた妻は「早く歯医者に行けばいいのに」と受診をすすめましたが、恐れをなしたぼくは拒否していました。それでも口を開けば「いてぇ、いてぇ」とそればかり。妻はこんなウジウジした男を許してはくれません。ある晩、ぼくが仕事から帰ると、「明日、10時に歯医者に行きよ。予約しちょったけん」と言います。「ええっ、いいわ。行かん…」とぼくの話が終わる前に、「だぁめ。絶対に行きよ」と怖い顔でかぶせてきました。ぼくは「はい。分かりました」と答えるしかありませんでした。

 その翌日、左下の親知らずを抜きました。隣の歯に食い込んでいたので、1時間を越える抜歯でした。1週間後に右下。それもまた1時間近く。それで治療は一旦終了しました。歯科では上の歯も抜くようにすすめられましたが、痛くもない歯を抜く気にはなれませんでした。しかし今回、口の内側を引っ掻くようになっていたので再び重い腰を上げました。

 妻はいつだって強引でした。優柔不断なぼくが悩んでいると、「これにしよ」と勝手に決めていました。そんな妻も自分の親知らずは抜かないままでした。「まだいい」「子どもを産んだ後」「仕事が忙しい」と理由を並べては逃げておりました。いつもは即決、即行動の妻でしたが、親不知ばかりは二の足を踏んだようです。

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2009年12月 6日 (日)

妻の仲間

 妻の友人、というより仲間のみなさんがお参りに来てくれました。ぼくと知り合う以前の妻のことなど、初めて耳にする話も聞かせてもらいました。妻は「人のために何かをしてあげたら、回りまわって自分に返ってくる」と話していたそうで、実際にせっせと人の世話を焼いていました。 
 今、ぼくと息子がその恩恵にあずかっています。妻の世話になったという方たちが、ぼくらのことを心配して声をかけてくれます。本当にありがたいです。

 空から見守ってくれているんだなあと感じるこのごろです。

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2009年11月18日 (水)

2001年宇宙の旅

 ぼく個人は結婚披露宴をするつもりなど全くありませんでしたが、妻が「どうしてもしたい」と言うので一つだけ条件を出して行うことに同意しました。その条件とは入場曲に映画「2001年宇宙の旅」のメーンテーマ「ツァラトゥストラはかく語りき」を使うことでした。

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 それまで多くの映画を見てきましたが、その中でも最も圧倒的で、最も刺激的で、最も難解で、最もシンプルなこの映画の音楽を二人の門出のテーマにしたいと考えました。条件はこれだけです。ほか一切は妻に任せました。妻は披露宴がとてもうれしかったようで、その後何度も収録したビデオを見返してはニヤニヤしていました。

 2001年の秋、ぼくら二人は宇宙の旅に出ました。2005年には息子が宇宙船の乗組員に加わりました。狭い船内ですので、妻と衝突することもめずらしくありませんでした。それでも、行く先を見失うことは決してありませんでした。そして、2007年には借金をして自前の宇宙船を手に入れました。息子に続くことを期待して新たな乗組員の部屋も用意していました。しかし2009年、妻は船から下りて星になってしまいました。

 今日はぼくらの8回目の結婚記念日であり、妻の35回目の誕生日でした。息子とケーキにろうそくを立ててお祝いをしました。ろうそくの火は息子が吹き消しました。

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